ゴジラ

俺とゴジラ

第五回 監督 手塚昌明氏(前編)

今回で第五回を迎える『俺とゴジラ』のインタビューですが、手塚昌明監督が担当された3本のゴジラ映画については、公開時から多岐にわたって詳細に紹介されておりますので、今回は趣向を変えまして、シリーズ全28作に関する監督ご自身の思い出や感想について、幅広くお聞きしました。


――ゴジラという名前と特技監督・円谷英二という名前と、先に知ったのはどちらだか、覚えておられますか?

手塚
それはゴジラですね、簡単なカタカナ三文字だったし。両親が映画好きで、『映画情報』という雑誌を毎月とっていて、それに載っていました。円谷英二監督の名を知ったのは銭湯に貼ってあるポスターで、『キングコング対ゴジラ』(62年)を見る前でしたね。確か『モスラ』(61年)の宣伝ポスターを見て、父親に「この名前はエンタニさん?」って聞くと、「これはツブラヤと読んで、この人は特撮の監督を担当しているんだ」と教えてもらいました。

――そうしますと、『映画情報』に記載されていましたのは、第一作『ゴジラ』(54年)や『ゴジラの逆襲』(55年)のことだったのでしょうか?

手塚
そうですね、両作とも扱っていて、東宝撮影所の写真なども載っていました。

――手塚監督が一番最初にご覧になったゴジラ映画は、第3作の『キングコング対ゴジラ』だということは広く知られていますが、この映画のことを初めて知ったのは?

手塚
それは円谷英二監督のことを知ったのと同じく銭湯ですね。確か当時、銭湯には一日おきに行ってたんですが、『キングコング対ゴジラ』の宣伝用のポスターを見て、そういう作品が間もなく公開されることを知りました。それまで一度も動いているゴジラの姿を見たことが無かったので、子供心に見たくて見たくてどうしようもなかったですね(苦笑)。

――『キングコング対ゴジラ』の公開は昭和37年8月11日でしたが、その時期の鑑賞でしたか?

手塚
いやいや、地元の栃木県の大田原市にある「大田原東宝」と言う映画館で観たんですが、二番館なんですかね、8月の末か9月頃だったような気がしますね。

――映画が大衆娯楽の王様だった頃のことですから、劇場の混みぐあいも大変なものだったでしょうね。

IMGP4091
手塚
それはもちろん!劇場内は異常なくらいの超満員でしたね。たぶんお袋と一緒に行ったと思います。劇場に行く楽しみは、もちろん映画を観ることですが、もう一つ、子供の顔ぐらいの大きさの煎餅を買ってもらう事でした。

――煎餅とは、食べる際の音が周囲に迷惑そうですね。パンフレットは購入されてないんですか?

手塚
この後に何度も通うことになるこの劇場では、パンフレットや映画の宣材は何も売ってなかったですね。だから、映画館にパンフレットがあることを自分が知るのも、ずっと後の事なんですよ。パンフレットを売っていたら絶対に親にねだって手に入れて、一生の宝物にしていたでしょうね。

――そうだったんですか。さて、『キングコング対ゴジラ』をご覧になったご感想は?

手塚
とにかくゴジラの姿がカッコ良くて、夜のシーンで目が光ってるのが不気味で、生きてるみたいでした。有島(一郎)さんのスラップスティックさや佐原(健二)さんのワイヤーネタなんかの人間ドラマも面白くって、見たことも無かった映像も満載で、1時間40分の上映中、全然飽きなかったですね。しかもこの映画を観たことをきっかけに、出来れば映画の仕事がやってみたいと思うようになって…。自分にとっては素晴らしい一日になったんですよ。

――ラストではキングコングが海中から浮かんで来て、洋上に消えていきますがゴジラは姿を現さない。どちらかというとコングの勝ち、という感じですが、どんなお気持ちでしたか?

手塚
学校ではクラスの皆で、プロレスの力道山の勝負と一緒で「どっちが勝つんだろう」という話を観に行く前からずっとしてました。「やっぱり、日本のゴジラが勝つんだ」、「いや、そんなことは無い!」とか、「タイトルの初めに来る方が勝つんだ」とかね。自分としては、ゴジラはラストで海底か土中で眠っているんだと思ってました。そうそう、観た後に自宅に戻って直ぐに映画のことを絵に描いたんですが、ゴジラの色が何色かよく分からなかったですね。漫画やイラストでは緑でしたが、劇中では緑じゃなかったですからねえ。

――やはり『キングコング対ゴジラ』は、手塚監督にとってゴジラ映画のベスト1ですか?

手塚 もちろんベスト1です。自分が初めて観たゴジラ映画が、自分にとってのベスト1になるんですよ。これは理屈じゃないんですね。まさに“刷り込み”ですよ(笑)。それぞれのゴジラファンの世代によって、自身のベスト1があるわけですね。

――『キングコング対ゴジラ』の2年後に『モスラ対ゴジラ』(64年)が公開されます。

手塚 もちろん、東宝生まれの二大怪獣の対決に、この時もワクワクドキドキしながら劇場に観に行きましたよ。例によって、モスラとゴジラのどっちが勝つんだろうって話題になってね。シリアス調のドラマも良かったけれども、『キングコング対ゴジラ』の多湖部長みたいなコメディリリーフがいなかったのがちょっと残念でしたね。

――特撮映像の仕上がりはいかがだったですか?

手塚
特撮の完成度は満点ですね。今回は悪役に徹したゴジラの倉田浜干拓地からの出現シーンをはじめとして、成虫モスラはフィルムの中で本当に生きているようで素晴らしかったし、巨卵から二匹の幼虫が誕生するのにもびっくりしました。親モスラが死んで、二匹の幼虫が仇を討つ。そんな時代劇の鑑みたいなお話を怪獣映画に巧みに取り込んだのが面白かった。本当に良いアイデアだな~と思っていたので、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(03年)の際に、参考にさせて頂きました(笑)。

――この昭和39年は、4月に『モスラ対ゴジラ』、8月に『宇宙大怪獣ドゴラ』、12月に『三大怪獣 地球最大の決戦』と、一年の内に一挙に3本もの東宝怪獣映画が公開されました。

手塚 怪獣少年にとっては、正に夢のような一年でしたね。でも、夏の『宇宙大怪獣ドゴラ』はちょっとショックでした。劇場前に貼り出された、ドゴラが大暴れする合成スチールを見て、否応無く期待を膨らませたのに、劇中ではちょっとしか映らないんですからね。映画を観るまで元気だった手塚少年は、ガッカリしながら劇場を後にしました(笑)。

――その『ドゴラ』を経て、年末には『三大怪獣 地球最大の決戦』が公開されます。

手塚 ゴジラ、ラドン、モスラの三大地球怪獣を相手にしても、決して一歩も引けをとらない華麗なる金色の三つ首竜、キングギドラのデビュー作ですね。各地から出現したゴジラやラドンらが、前半では戦いつつも最後にはキングギドラに対して共闘する。このシークエンスにはカタルシスが溢れていて興奮しました。後年になって、金星人や王女暗殺、王女と一刑事の淡いロマンスなんかの要素を巧みに盛り込んだ関沢(新一)さんのドラマ作りに感心しました。面白い作品にするためには、まず、脚本が良いものでなくちゃダメなんだなと教えられたりもしましたね。

――『三大怪獣 地球最大の決戦』で怪獣映画としての頂点を迎えたゴジラ映画は、次作の『怪獣大戦争』(65年)で新たなドラマ展開を模索し、ゴジラは宇宙空間に飛び出します。

手塚
メカ好きだから、P-1号やX星人の円盤、Aサイクル光線車の登場にはワクワクしましたね。本編では、X星に着陸したP-1号の下部の実物大セットにも驚きました。それから『怪獣大戦争』といえば、X星人役のヒロイン・水野久美さん!色っぽくて綺麗なお姉さんでしたね。もう手塚少年は興奮しまくり(笑)でしたよ。

IMGP4266
――『怪獣大戦争』といいますと、音楽担当の伊福部(昭)さん作曲のマーチも忘れられません。

手塚 
伊福部さんの音楽は、『海底軍艦』(63年)の時から認識していました。海底軍艦・轟天号の活躍シーンのバックに流れるあのテーマに魅了されまくりでした。劇場から帰った後は、下手すりゃ一日中、頭の中で鳴り響いてました。あまりにいつも口ずさんでるから、母親から「もうやめなさい!」って言われるくらいでしたね(笑)。ですから、『怪獣大戦争』のマーチ曲にも当然のごとくハマりましたね。東宝特撮映画にとっての伊福部さんの貢献は、かけがえの無いものでしたね。

――『怪獣大戦争』の次には、翌昭和41年12月公開の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』のお話に行きたいところなんですが、昭和41年の5月15日に、TBS系のテレビで『ゴジラの逆襲』(プロ野球の中継中止による放送。当初は5月1日に放送が予定されていた)が初放送されました。これは記憶がございますか?

手塚
『キングコング対ゴジラ』以前のゴジラ映画が自宅のテレビで見られるなんて、正に夢みたいなお話なんですが、実際に見てみたら、ゴジラとアンギラスが戦う場面の画面がとにかく暗くて、よく分かりませんでした。それに、先の『映画情報』にも載っていたんですけど、ゴジラの姿形が自分の知っているものとは違って、けっこう出っ歯で、精悍な顔つきじゃあ無かったしね。でもね、後年この作品が自分にとって印象深い作品になるんですよ。

――と、いいますと?

手塚
それは結婚後に知るんですが、義理の父親が『ゴジラの逆襲』で小田組の助監督をやっていたことが分かったんですよ。とは言え余り話をしてくれなくて、小田(基義)監督はとても真面目な方だったとのみお聞きしました。

――奥様のお父様がゴジラ映画に関わっていたんですね。やはり手塚さんの人生はゴジラに縁のあるものなんですね。『ゴジラの逆襲』のテレビ放送のお話の流れでお聞きしますが、第一作『ゴジラ』も昭和42年2月26日にNHKで初テレビ放送されました。

手塚
この頃は、昭和40年頃から始まった特撮怪獣ブームの真っ只中でしたからね。でもね、『ゴジラの逆襲』の前例があったので、第一作の『ゴジラ』には何の期待もしなかったんですよ。

――そのお気持ちはよく分かります。

手塚
それで見てみたら、やっぱり画面は暗いし、リアルなんだろうけども、人間ドラマは会議ばっかりやってる感じでした。だから何の感銘もしませんでした。それに、自分にとっては不滅の怪獣王であった筈のゴジラが、ラストであっけなく殺されちゃうのもショックでしたね。それは、芹澤博士が発明した化学兵器のオキシジェン・デストロイヤーが、どれだけ凄い威力を持っているのかということになるんですけどね。でも、12歳の少年には、作品に込められた原水爆の恐怖のメッセージなんかは、全く受け取れませんでしたね。

――第一作『ゴジラ』のその認識は、後年変わることになるんですか?

手塚
変わるんですよ、恐ろしい事に(笑)。大学生になって東京に出て来て池袋の文芸地下で再見したら、その認識が180度ひっくり返るんですよ。この作品をスクリーンで観た時の感動は忘れられませんね。本当に茫然自失となりました。脚本、本編、特撮、音楽、どれをとっても素晴らしい、その完成度の高さに震えました。『キングコング対ゴジラ』は自分にとってのゴジラ映画のベスト1ですが、第一作『ゴジラ』は別格の存在になりましたね。

――大人になって、作品の評価が正反対になったんですね。

手塚
自分なりの見解ですが、劇中のゴジラは、かつての日本の敵であり戦争相手だったアメリカというか米軍ですね。日本を滅ぼしに来た巨大な力、抗いようのない力。それだけ重いものをね、一頭の怪獣に背負わせているんです。ですから、自分は第一作『ゴジラ』を、娯楽映画じゃなくて戦争映画だと思っています。その後にゴジラ映画を娯楽映画に昇華させた田中(友幸)プロデューサーの存在は大きかったですね。昨年、デジタルリマスター処理されて、実にクリアーに作品が修復されましたが、改めて一人でも多くの日本人にゴジラの原点を観て頂きたいと思いますね。

――ちなみにですね、NHKで『ゴジラ』がテレビ放送された2月26日(日)は、『ゴジラ』が16時00分から17時30分、そのあと18時00分から18時50分が『サンダーバード』の「火星ロケットの危機」の回で、19時00分からの『ウルトラマン』がメフィラス星人登場の「禁じられた言葉」が、それぞれ放送されていますが、ひょっとして全部ご覧になっていますか?

手塚
勿論!全部見てます(笑)。特撮好きの少年にとっては、夢のような一日ですよ。当時は、映画もテレビも一期一会の出会いだと思っていますから、見逃したら、次いつ見られるか判らないのですからね。そりゃあ、集中して真剣に見ましたよ。

――テレビのお話をお聞きしていますと、自宅のテレビを一人で独占してたように思えますが…。

手塚
決して金持ちでは無かったので、家には白黒テレビが一台きりでしたが、父親が仕事の都合で帰りが遅く、母親と二人きりが多かったんです。ですから比較的、自分の思い通りに見たい番組が見られましたね。

――それは羨ましい子供時代ですね。さて、話をゴジラ映画に戻しまして、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』と、続く『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(67年)の二本は、南海の孤島を舞台にした作品に仕上げられました。

手塚
どちらも面白くて好きですよ。両作共に都市破壊の無い作品ですが、この後の「東宝チャンピオンまつり」の作品たちに比べたら、しっかり作られていると思います。ゴジラの敵怪獣のエビラ、カマキラス、クモンガも、それほどディフォルメのきつくない、リアルな生物感に溢れる怪獣でしたしね。クモンガの吐く糸が、荷造り用のビニールテープだと観ていて分かったので、自宅の壁にテープを張って、それを親父のライターで焼き切ったりして『息子』ごっこをしましたよ(笑)。『南海の大決闘』では前作から引き続いての水野久美さん、『ゴジラの息子』では前田美波里さんの、それぞれ水着姿を見られちゃうお得感もありましたね。

――この二作品は、これまでの監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、音楽・伊福部昭のトリオから、福田純、有川貞昌、佐藤勝にメインスタッフが変更されました。その認識はございましたか?

手塚
クレジットを見ていれば一目瞭然でしたが、明らかにこれまでのゴジラ映画とは違う作りになったという意識はありました。メインスタッフが変わったとはいえ、軽快なテンポで展開される南海の孤島を舞台にした活劇を存分に楽しみました。

――続くシリーズ第9作は、東宝怪獣映画の集大成である『怪獣総進撃』(68年)です。

手塚
ゴジラをはじめとする11大怪獣勢揃いということよりも、新鋭宇宙艇のSY-3号のカッコ良さやヒロインの小林夕岐子さんの美しさに魅了されていましたね。とはいえ、実は自分にとって思い出深いのは、『怪獣総進撃』よりも同時上映の『海底軍艦』でした。昭和38年に観てハマッたこの作品を、こんなに早く再見出来る日が来るなんて、なんて幸運なんだろうと思いました。後年、この時の『海底軍艦』の上映バージョンが短縮版であったと知るんですが、そういうことは、当時は気になりませんでしたね。

――続く『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(69年)から、子供向けの「東宝チャンピオンまつり」のメイン作品として、ゴジラ映画の上映が行われます。

手塚
この頃は中学生になっていましたが、一応、ゴジラ映画は引き続いて観に行ってました。でも、劇場内は子供だらけでしたね。ゴジラやガバラの戦う怪獣島の舞台も、一郎少年の夢の中の世界であって、ゴジラ映画の黄金時代を知っているだけに、低予算の中、苦労して作っているんだろうなというのは自然と判りましたね。

――この作品の公開の翌年の1月末に、〝特撮の神様〟と言われた円谷英二特技監督が逝去されました。

手塚
それを知ったのは、テレビのニュースか新聞ですね。あまりにも突然のことだったので、「えっ!円谷監督が亡くなった」との感じでしたね。ちょっと「東宝の特撮映画は、今後どうなるのかな」とも思いましたが、そんな自分の心配を他所に、円谷さんが亡くなっても東宝の特撮映画は作り続けられましたね。

――シリーズ第10作の『オール怪獣大進撃』以降、第15作の『メカゴジラの逆襲』(75年)までの6作品、ゴジラ映画は「東宝チャンピオンまつり」のメインプログラムとして新作が引き続き公開されます。

手塚
栃木にいたのは昭和47年までだったので、地元で最後に観たのは『ゴジラ対ガイガン』(72年)で、『ゴジラ対メガロ』(73年)以降は東京に出て来てから観ました。『ガイガン』の頃だったかな、東宝の宣伝部宛てにハガキを送って、ガイガンの時間割カレンダーを送ってもらったこともありました。

――「東宝チャンピオンまつり」の諸作品の感想といいますと?

手塚
自分にとって乗り切れなかったのが『ゴジラ対ヘドラ』(71年)ですね。ゴジラが空を飛ぶのも意味不明だし、ファンにとっては人気がある公害怪獣のヘドラにも全然魅力を感じませんでした。敵怪獣で良かったのはガイガンとメカゴジラ。どちらもゴジラの敵として一歩も引けをとらない存在として光っていましたね。特にメカゴジラがコンビナートで、にせゴジラから劇的に変身するシーンは文句無しにカッコ良かったですね。

――「東宝チャンピオンまつり」の新作ゴジラ映画の最終作である『メカゴジラの逆襲』は、本多監督の遺作にもなりました。

手塚
『怪獣総進撃』以来、ゴジラ映画に久々に本多監督が返り咲いて、低予算の中でも進みすぎた科学に対する警鐘をテーマに描いている辺りは、さすがだと思いました。本多監督は、『地球防衛軍』(57年)や『妖星ゴラス』(62年)で、入浴シーンをさりげなく挿入して、アダルティックなタッチを出しているんですが、『メカゴジラの逆襲』でも真船桂の手術シーンで、ダミーの胸を見せたりして観客をドキッとさせたりしてましたね。自分が担当するゴジラ映画にも、そういうシーンを入れてみたいんですけど、なかなか思い切れないですね(笑)。

――ここまでお話をお聞きして、ゴジラ映画以外の東宝特撮映画で、メカもののベスト1は『海底軍艦』とのことですが、ちなみに怪獣映画のベスト1は何になるんですか?

手塚
『ゴジラ』(54年)は“別格”ですから入れないとして、ベスト1は『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』(70年)ですね(笑)。

――えっ、『決戦!南海の大怪獣』ですか!? てっきり『空の大怪獣ラドン』(56年)や『サンダ対ガイラ』(66年)なんかの作品が挙がると思っていたんですが…。

手塚
登場怪獣のカメーバやガニメの、造形担当の安丸(信行)さんが手掛けたリアルな生物感に溢れた造形がとにかく好きなんですよ。特にカメーバの顔つきや首が蛇腹になっていて伸びるのもカッコ良くて、エビラやクモンガもそうだけど、怪獣の生物感をとことん追求した有川さんの作品が自分の好みなんですよね。カメーバは自分にとってのお気に入り怪獣だったから、死体役でちょっと残念だったんですが『東京SOS』に登場して貰いました。勿論、『サンダ対ガイラ』も大好きですよ。

取材&インタビュー構成:中村 哲(特撮ライター)
インタビュー原稿作成協力:馬場卓也