ゴジラ

俺とゴジラ

第五回 監督 手塚昌明氏(後編)

――ゴジラ映画は、シリーズ第15作の『メカゴジラの逆襲』を最後に9年間にわたって休眠します。その間にゴジラ映画について何か思われることがございましたか?

手塚
映画の学校に入ったんで、何とか一人でゴジラ映画のストーリーを書こうと思ったんですが、全く書けませんでしたね。アイデアが出てこなくて、「どう作れば良いんだろう?」と、けっこう一人で悩んでた時期だったですね。

――そして9年の時を経て、84年の『ゴジラ』でゴジラ映画は見事に復活を遂げました。

手塚
この頃には市川(崑)監督作品の助監督として東宝にいまして、橋本(幸治)監督とは『さよならジュピター』(84年)で御一緒させて頂いたので、橋本さんから「手塚ちゃん、『ゴジラ』やる?」と言われて、「絶対にやります!」って元気よく答えしました。

――とはいえ、結果的には『ゴジラ』(84年)にはスタッフとして参加されませんでした。それは何故ですか?

手塚
橋本監督との話の後に、製作部長にも「ゴジラがやりたいです!でも、市川監督の『ビルマの竪琴』(85年)に就きそうな雰囲気だったので、製作部長からも市川監督にその旨、言って下さい」とお願いしたんです。ところが、一ヶ月経っても何の動きもないので、製作部長に確認したところ「君の要望は聞いたけれども、とてもじゃないけれども自分から市川監督には言えないよ」と……。それで市川監督の事務所の方にもその話をしたところ、「市川監督が手塚ちゃんに就いて欲しいって」と言ってると聞いて。市川監督がそう仰っているのだからと、泣く泣く(笑)『ゴジラ』は諦めました。同じ東宝撮影所の中で、こちらは『ビルマの竪琴』の準備をやっていて、片や『ゴジラ』の準備を、助監督の山下(賢章)さんや三好(邦夫)さんが進めていましたね。

――過去のインタビューでは、自衛隊のヘリが高層ビルのガラスを破るために射出する吸着弾のアイデアを考えられたそうですね。

手塚
それは本編のB班担当だった山下さんから頼まれたからです。吸着弾のデザイン画を描いて渡したら、直ぐに小道具の発注をされて。その頃は、「明日は新宿のモブシーンの撮影に行くんだよ、エキストラが1000人来るんだよ!」って、演出部が浮き足立っていて。「凄いな、いいな」と横目で見ながら、こっちは中井貴一ちゃんと竪琴の練習をやっていましたね(苦笑)。

――作品の評価はいかがですか?

手塚
橋本監督は本当に真面目な方だったので、その真面目さが作品に出ていると思いました。ゴジラ自体が架空の存在なのに、理詰めでやっている感じがしました。ゴジラ自体の造形も、着ぐるみとサイボットの顔が全然似ていないのにも参りましたね。仕上がった二体目の着ぐるみを見に行った時、安丸さんから、「今度のはカッコいいだろ!」と言われて、「えっ、一体目と同じものを作らなくていいんですか?」とは言えませんでしたね。そういうことを経験して、そのことをメモに書き留めたり、自分の記憶にインプットして…。何時になるかは分からないけれども、自分がゴジラ映画を作る際の参考にしようと思っていました。でも一番に思ったのは、やっぱりゴジラに思い入れのある人が担当しなくちゃいけないということでしたね。

――『ゴジラ』の5年後に『ゴジラVSビオランテ』(89年)が製作され、監督には大森一樹さんが起用されました。

手塚
大森監督の起用は、東宝映画の人材に限界を感じた田中(友幸)プロデューサーの思い切った発案によるものだと聞いてます。大森監督はシナリオも書けて城戸賞も受賞してからデビューしてるわけだから、新作のゴジラ映画を任せても大丈夫だろうとの確信が田中さんにはあったんでしょうね。キャスト陣も豪華だったしドラマ展開もスピーディで、ゴジラ映画の新境地だと思いました。

――川北(紘一)特技監督による特撮はいかがだったですか?

手塚
川北さんとは、既に『さよならジュピター』で御一緒していたんですけど、仕上がった特撮映像は実に新鮮でした。ゴジラの造形も頭部が小さくなってカッコ良かったですね。大プールでの撮影を何度か見に行ったんですけど、ラジコンヘリを飛ばしたり、護衛艦からの発砲とか、ゴジラとの戦闘シーンは、オープン撮影の効果が素晴らしくて立体感に溢れていました。現場の熱気から、「川北紘一ここにあり!」っていう感じがヒシヒシと伝わってきました。ゴジラ映画の1本目ということで、やりたかったことが爆発していた感じがしましたね。ですから、自分の『VSビオランテ』の評価は高いですよ。

――スーパーⅩ2や92式メーサー戦車のメカ描写も充実していましたね。

手塚
92式メーサー戦車は操縦席のデザインがカッコ良かったけども、もうちょっとパラボラが大きければと思いましたね。全部で3種あるスーパーⅩも、この作品の2号機が一番良かったと思います。そういえば、84年の『ゴジラ』の時には、スーパーXもショッキラスのどちらも仮の名前だと聞いていたんですけど、結局、その名前のままで登場してガッカリした記憶があります。

――大森&川北コンビの第2作が『ゴジラVSキングギドラ』(91年)ですね。

手塚
『VSキングギドラ』は、タイムパラドックスの設定に無理があるとか言われてますが、とんでもない、素直に面白かったです。中川安奈さんが演じるエミー・カノーが、メカキングギドラを操縦しているという、その設定も斬新でしたね。

――続く『ゴジラVSモスラ』(92年)で、初めてゴジラ映画の助監督になられます。

手塚
この時はセカンドの助監督でしたが、ゴジラ映画のスタッフに就けたことは本当に嬉しかったです。やっと就けたという感じですね。『超少女REIKO』(91年)の撮影が終わり、引き続き大河原(孝夫)監督が『VSモスラ』をやることを聞いて、ちょうど市川組との絡みがなかったんで、「やります、今度こそ是非ともやらせてください!」って頼んだんです。

――コスモスこと、二人の小美人の撮影は本編班が担当されましたね。

手塚
ラージサイズでのセット撮影は問題なかったんですが、合成は苦労しましたね。この時に学んだのは、小美人の合成は絶対に人間の勘に頼って作業してはダメだということです。下絵と同じカメラのレンズサイズで距離も角度も計算して小美人を撮影します。しっかりサイズと動きを合わせれば、小美人も背景も画面上でピタッと合うんです。この時の経験は、『東京SOS』の小美人の撮影をする時に大いに役立ちました。

――作品は超大ヒットを記録しました。

手塚
『VSビオランテ』、『VSキングギドラ』と、順調に観客動員を延ばしていたんですけれど、『日本沈没』の動員を超えたと聞いた時には吃驚しました。東宝の全社員にはボーナスが出て、真偽の程は知りませんが、本社のデスクも新品になったと聞きました。自分はフリーだったので、そういうことには一切関係無し。製作部長が「ご苦労さん」と言いながら握手して…。それだけかい!って(笑)。

――続く『VSメカゴジラ』(93年)も担当されました。

手塚
大河原監督と話して、Gフォースの戦闘部隊としての設定を担当しました。米軍の横田基地に取材に行って、パイロットを紹介してもらって、通訳の人を介して話を聞きました。「これがメカゴジラといって、ゴジラを倒すために作られたロボットです」ってデザイン画を見せたら「エンジンは何基あるんですか?」「この動力源は?」と、理詰めで質問されて困っちゃいましたね(笑)。

――本編ではベビーゴジラのシーンも担当されましたね。

手塚
当初の打ち合わせの際に、大河原監督は「ベビーは特撮でやるから」と言っていたんですが、いつの間にか本編の担当になっちゃいました。ヒロインの佐野量子ちゃんがベビーに「可愛い!可愛い!」と言っていつも抱きついていて。こっちは「破裏拳竜という名のオッサン(笑)が中に入ってるんだけどなあ」と思いながら見てましたね。あまりにも量子ちゃんが抱きついているから、明日は代わりに自分が入っておこうかなと考えたこともあった位です。

――平成ゴジラVSシリーズは、この後、『ゴジラVSスペースゴジラ』(94年)、そして『ゴジラVSデストロイア』(95年)で完結します。

手塚
『VSスペースゴジラ』も『VSデストロイア』も、引き続いて担当したかったんですが、この時も市川監督の作品とバッティングして無理でした。『VSスペースゴジラ』の監督の山下さんは先輩で親しかったので、何とかして助監督として付きたかったんだけどダメでしたね。

――『デストロイア』では、ゴジラの死と共にシリーズが完結しました。

手塚
これ以降もシリーズを続ければお客さんは入ったと思うんですが、この時点で終わらせたのは潔いと言えるんでしょうね。『ゴジラ死す』という宣伝文句も最終兵器みたいなもんでした。『エイリアン2』(86年)を想起させるデストロイアの幼体と戦うシーンに登場する特殊部隊も、自分がやっていたら、隊員の戦闘服もこんな風にしたのに、との思いはありましたね。

――ラストのゴジラの死については?

手塚
やっぱり、絶大なインパクトがあって、凄いと思いました。ビジュアル的にも、ゴジラが体内崩壊するのを描いたのも初めてでしたから。それにしても、スペースゴジラといい、デストロイアといい、川北さんの作品の敵怪獣はゴツゴツしていて、とにかくぶっといですね(笑)。

――この後、アメリカ版『GODZILLA』(98年)や平成モスラ3部作(96~98年)を挟んで、99年の末にゴジラ映画は、新たにミレニアムシリーズとして復活しました。

手塚
アメリカ版の公開の影響を受けて、急遽『ゴジラ2000 ミレニアム』(99年)でゴジラ映画は復活するわけですね。製作前には、ゴジラマニアは嫌がるかもしれないけれども、第1作を焼き直しでやればいいんじゃないのって、撮影所内の皆で話していました。とはいえ、冒頭の根室のシーンは出色の出来で、霧の中、トンネルの出口で見上げるゴジラの姿とか、ゴジラと並走する自動車のカットなんかは、新たなビジュアルを生み出そうとの意欲が伺えますよね。ちょっとコメディ風のテイストが好きな大河原監督の、主人公の篠田と娘のイオちゃんとのやりとりも良かったですね。でも、ちょっと不満な点もありました。東海村の陸自との戦闘で使用される貫通弾のフルメタルミサイルも、「貫通するだけでゴジラへの威力は無いから、炸裂弾の方がいいですよ」って三好さんと一緒に進言したりもしたんですがね。

――幕張のロケでは、エキストラの仕切りをされていましたね。

手塚
この作品では、本編の応援として航空自衛隊の千歳基地に行って、F-15J戦闘機の発進や上昇を撮ったり、幕張の撮影ではエキストラの動かしもやりました。

――次作の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(00年)の監督に抜擢されますが、その話が来たのは、いつ頃のことだったんですか?

手塚
それは『ミレニアム』のクランクイン前でしたね。「手塚君、来年ゴジラの監督をやるかい?」との話をもらった時は、ストーリーに対する思いもあったし、もちろん断る理由が無かったですからね。やるからには自分のやりたいものをやろうとの気持ちで臨みましたね。映画作りも結局は限られた予算や撮影日数の中での事ですから、思うように行かないことも結構ありましたよ。でも、その制約の中で最大限の知恵を絞って、やりたい事に少しでも近づけて行く作業は逆に楽しかったですね。自分が監督なんですから、“困ってる時ほど胸を張って”やってましたね。

――作品に対しては全力投球だったんですね。

手塚
それはもちろん!この後に2本目、3本目が担当出来るとは、当然思っていませんでしたから、この作品に自分の全てを賭けるとの思いでしたね。

――『×メガギラス』は、非常に面白かったとの高評価だったですね。

手塚
それは素直に嬉しかったですね。本当に撮って良かったなって。ただ一点、ゴジラの体色のグリーンが強かったのが、ちょっと心残りでしたね(笑)。

――ミレニアムシリーズの3作目は、平成ガメラ3部作を手掛けた金子修介監督による『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年)(以下、『G・M・K』)です。

手塚
やっぱり自分の作品と比べると、出演俳優の数や登場怪獣も多く、作品のスケールも大きくて羨ましかったですね。

――自分がかつて担当していました「ゴジラビデオファンクラブ」の会報にも書かせて頂きましたが、この作品では特撮のB班監督を担当され、本編にも出演されましたね。

手塚
特撮班がスケジュール通りに撮りきれないとの上層部の判断で自分に打診があって、いつかは自分も特撮を担当したいと思っていましたから二つ返事で引き受けました。撮影したのは、ゴジラの傷のアップとか、漁船の落下とか、波を落すとかヘリの爆発、バラゴンの足元の砂煙、マリンスノーとかですね。要は小物と言われるカットでしたが、けっこうなカット数を江口さんと一緒に撮影しました。

――本編への出演は、川北さんと一緒に防衛軍の参謀役でした。

手塚
本編班の撮影の初日に、天本(英世)さんと蛍(雪次朗)さんが出演されると聞いたので、ステージに挨拶に行ったんですよ。そしたら、金子監督から「手塚さん、劇中に出てくれませんか?川北さんも出られますから」と言われちゃったんですね。だから出演のオファーは、金子監督から直接されたんですよ。まあ、自分も川北さんも、撮影では非常に緊張しましたね(笑)。

――シリーズ初の白目のゴジラというのはいかがでしたか?

手塚 日本軍の亡霊の集合体という新機軸で打ち出すわけだから、これはこれでアリだと思いましたね。スーツも大きくて重量感に溢れて実にカッコ良いこのゴジラは、未だにファンからの人気も絶大ですからね。

――『ミレニアム』、『×メガギラス』、『G・M・K』の3本は、それぞれ違う監督で、それぞれ違う世界観のゴジラの姿を描くということが基本でしたけれども、それについては?

手塚
それは新たなシリーズの作劇として面白いなと。ただ、一本目の評判が今一つだったのが残念でしたね。何より口開けというか、こけら落としというのは大事なものですからね。

――そしてシリーズは新たな展開を求めて、『ゴジラ×メカゴジラ』(02年)、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』と、機龍の二部作が製作されました。

手塚
『ゴジラ×メカゴジラ』は、自分がかつて観た『キングコング対ゴジラ』のように、自分が観て面白かったものは、今の子供たちが観ても必ず面白いのだろうから、そういうテイストでやりたいと思いました。主役は女性で明瞭にし、コメディリリーフや超兵器も出して、どんな障害があろうとも、あくまでもゴジラと戦うんだとの作劇ですね。

――手塚ゴジラでは、初めて自衛隊の協力が得られましたね。

手塚
そうですね。自衛隊の兵器としてメカゴジラこと機龍は出るし、第4の自衛隊こと「特生自衛隊」の設定もあったので、絶対に協力を得るのは無理だろうと半ば諦めてました。「自衛隊のOKが出ました!」って、製作補の山中和成君から聞いた時は、きっと防衛庁サイドが自分の『×メガギラス』を観てくれて、「ああ、こいつの映画は面白い、我々の戦う心を分かってくれてる」と思って協力してくれたんだと、勝手に決めつけました(笑)。

――ゴジラ映画を三本撮られて、やり尽した感がありますか?

手塚
この前も『ゴジラのマネジメント』という書籍での富山さんとの対談で、富山さんから「手塚監督はやり尽したから」と言われたんですが、「いやいや、そんなことは無いですよ、やりたいことはまだまだ一杯ありますよ」って反論しましたね。とにかくゴジラが好きなんだから、やりたいことは次から次へと自然に出て来るんですよ。

――現状でシリーズの最終作『ゴジラ FINALWARS』(04年)について。

手塚
やっぱり最終作だけあって、とにかく豪華ですね。予算もたくさんあって、怪獣も一杯出して、やりたいことを存分にやらせてもらって。北村(龍平)監督が羨ましいなと思いましたね。もちろん可能であれば、自分が最終作の監督をしたいとの気持ちもありましたよ、それは(笑)。

――全28作のゴジラ映画を駆け足で振り返りましたが、手塚監督の人生を魅了する、ゴジラの魅力というのは何なんでしょうか?

手塚
ゴジラ映画は全28作ありますが、その顔つきから誕生の背景、出現地や破壊地まで、それぞれの作品でいろんな側面があるにも関わらず、それでもなおかつシリーズとして繋がっている。あらゆる魅力に満ち溢れているゴジラは、唯一無二の〝怪獣王〟の名に相応しいキャラクターだと思いますね。

――インタビューの最後に、『俺とゴジラ』を一言でお願いします。

手塚
ゴジラは、いろんなことを教えてくれる、正に自分の人生に於いての先生ですね。映画製作に当たって、自分にとって吸収すべき良いところをはじめとして、その反面、まずいところや反省点もきっちりと教えてくれる貴重な存在です。事情が許すなら、自分が死ぬまでゴジラ映画を作っていたいとの気持ちもありますから。

――本日は長時間にわたり、誠にありがとうございました。

取材&インタビュー構成:中村 哲(特撮ライター)
インタビュー原稿作成協力:馬場卓也